marginalnotes

学んだこと思い立ったことを勢いだけで書く

広告が好かれる時代など来ないしネイティブ広告も同じ

d-marketing.yahoo.co.jp

ここでお話をされている方々は実際に広告を作る側の方々だから仕方ないのかもしれないけれど、なぜ広告が嫌われるのかを根本的に理解していないし、よい広告であればユーザーは受け入れてくれると思っている節があるがそんなことはない。

なぜ「広告が嫌われるのかを根本的に理解していない」と断言するかと言えば、例えば下記の発言。

この「記事と広告の見分けがつかない」ことについて、悪くとる人からすると、「人々をだまそうとしている広告」と思われるかもしれませんが、ネイティブ広告は他のこれまでの広告フォーマットと比べると「邪魔にならない」、「チカチカしない」広告です。つまり、「だまそうとしている」というよりもむしろ、「嫌がられない」ための広告フォーマットとして生まれてきています。

嫌がられない広告? なぜ人が広告を邪魔と感じるかと言えば、それは広告の内容など関係なく、「ユーザーが目的を持って行動しているから」に他ならない。ある目的を持って行動している -要するに特定の情報に向かって最短距離でたどり着き、それだけを取得してさっさと目的を果たしたい- ユーザーにとってはそれがどんな形態・内容の広告であろうと、主目的を邪魔する存在でしかない。

主コンテンツを邪魔せず、隅っこに広告バナーが表示されていればそれが多少チカチカしていようがまだ気にならないかもしれないが、主コンテンツの前に広告を挟み込んできたり、ネイティブ広告のように目的の情報だと思ってアクセスしたら違ったなどという無駄な時間を使わされるものが邪魔じゃなくてなんなのか。

という前提を理解すれば、嫌がられずに広告を見てもらうには、ユーザーが目的を持って行動していない、受け身の状態のときにさらっと流すか -ながら見しているときに流れるテレビCMはこれに近いかもしれない-、そうでなければ、例えば暇つぶしが欲しいなと思っている人に、その人が暇をつぶせる内容の広告を提供するなど、広告を見ること自体が目的になるようにしなければいけない。極端な話だが、広告を見て金をもらえるなら喜んで広告を見る人も多いだろう。そんなことをして意味があるとは思わないけれど。

繰り返すがネイティブ広告とやらが嫌われるのは、何かの商品について調べようと思ってアクセスしたら、そのページが金をもらって書かれた提灯記事だったという、本来の目的遂行 -信頼できそうな評価や実際の利用者の声が知りたいという欲求- を邪魔するからで、どんなに記事が面白かろうが関係ない。金をもらって中立でない内容になっている記事は有益な情報にはならない。邪魔なものは邪魔ということになる。

業界のガイドラインとやらに従って「広告」とでっかく書いてあれば最初から読まくて済むのでユーザーにとっては多少ありがたいが、だとしても邪魔なことには変わりない。

「広告」を考えるとき、広告主側の視点でしか物事を考えていないケースがほとんどだ。金を出すのは広告主なのだからそれはある意味当たり前で、それが悪いとは言わないのだけれど、広告を出す側が、広告を出す側だけの理論で「よい広告とは」などという話をしてもあまり意味のあるものには感じられない。

という記事を下書きにしたまま忘れていて長らく放置されていたのを今さら公開した。